染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。
御茶ノ水が、日本のカルチエラタンと呼ばれるようになったのはいつの頃からだろう。JR「御茶ノ水駅」界隈(かいわい)は、有名私立大学、大学病院、美術や語学の専門学校、予備校の校舎が林立し、書店や文具・画材店はもちろん若者向けの楽器店やスポーツ用品店も多い。そして、いつもたくさんの若い学生たちで活気に満ちている。確かに、街がまるごと大学のキャンパスのようである。
ちなみに、カルチェラタン(Quartier Latin)はフランス語で、「カルチエ」は地区、「ラタン」はラテン語だから、「ラテン語を話す教養ある学生たちが集まる地区」というほどの意味だろう。パリのソルボンヌ大学のある界隈がそう呼ばれていて、パリでも人気の観光名所になっている。
東京に、若者が多く集まる街は多い。でも、御茶ノ水を歩く若者たちの光景の趣(おもむき)は、どこか少し違うような気がする。それは、この街で青春時代を過ごした僕のこの街への愛着や郷愁のせいかもしれない。でも、そう感じる人は多いのではないだろうか。だから、御茶ノ水は、いまも日本のカルチエラタンであり続けているのだと思う。
その昔、このあたりは「神田山」と呼ばれ、富士山を遠くにのぞむそれは風光明媚(ふうこうめいび)な高台だったらしい。江戸時代のはじめ、駿府(静岡)から江戸に越してきた徳川家の旗本たちは、江戸城に近くて、故郷の富士山をいつも身近に感じることのできるこの地に居を構え、お屋敷を建てていく。それが、この街のはじまりであり、「神田駿河台」というこの街の地名の由来にもなっている。
その頃、神田山に高山寺という禅寺があった。二代将軍徳川秀忠が、その庭のわき水をいたく気に入り、お茶専用の水にしていたことから、このあたりを御茶ノ水と呼ぶようになったのだという。地図上に御茶ノ水という地名はない。でも、それ以来、誰もが親しみをこめてこの駿河台界隈を「御茶ノ水」と呼びならわしている。
JR「御茶ノ水駅」の足元を流れる川は、神田川だ。プラットホームから見るこの川は、都心に残された小さな渓谷のような風情がある。でも、それは、やはり二代将軍徳川秀忠の時代に造られた人工の渓谷で、もともとあった自然の川ではない。神田山を切り崩しての造成工事だったのだから、それは大事業だったろう。
神田川は、江戸への給水、運輸、治水、そして何よりも江戸城の外堀として防衛目的に造成され、百万都市江戸の繁栄を支える大きな役割を果たしていく。だから、江戸城の周辺に交通目的の橋は架けられていなかった。
御茶ノ水駅の細長いプラットホームの両端に架かる対照的なデザインの二つの橋、「お茶の水橋」と「聖橋(ひじりばし)」は、明治以降に登場している。お茶の水橋はから遠目に見る聖橋のアーチは、実に美しい。
聖橋は、関東大震災の復興橋梁として1924(昭和2)年に建造、日本武道館や京都タワーを設計した建築家・山田守(1894〜1966)によってデザインされている。彼は、自然界に直角は存在しないし、人も直角には動かないとし、建築の形態や空間から「直角」を排して「曲面」を多く採用した日本近代建築のパイオニアである。彼のデザイン思想が最もよく表れた傑作が、この聖橋だろう。
実は、現在の聖橋は、表層の仕上げ方がオリジナルデザインとはずいぶん違う。現在の姿になったのは、僕が建築史を学ぶ学生の頃だったから30年以上も前になるだろう。修復工事を終えて現れたその無残な姿に、僕は愕然(がくぜん)とした記憶がある。
オリジナルには、現在のような石積み風の目地は無い。それに、アーチや手すりの角々のすべてが優しい「曲面」で処理されていた。鉄筋コンクリートの可塑性を生かし、装飾を一切排し、構造力学からうまれる形態を素直に表現しながらも、不思議なロマンチシズムに満ちたデザインが本来の姿だ。柔らかで真っ白な豆腐のような聖橋をイメージするといいかもしれない。
聖橋の近くに、文化も宗教も全く異なるふたつの聖堂がある。「湯島聖堂」と「ニコライ堂(日本ハリストス正教会復活大聖堂)」だ。近くにありながらも神田川で分断されていたこの東西異文化のふたつの聖堂を一直線でつないだのが、聖橋だった。このふたつの聖堂にちなんで、また東洋文化と西洋文化をつなぐ聖なる橋となるようにと、聖橋と命名されたのだという。
実際、日本の伝統建築のシンプルさと、西欧の伝統建築のアーチを見事に融合、昇華した聖橋は、まさに東西文化の架け橋として、また日本モダンデザインの記念碑として、お茶の水の風景そのものとなっていく。
学問の神様として儒学の祖「孔子」がまつられているのが、湯島聖堂だ。ここは、江戸幕府直轄の学問所であり、江戸の知性の象徴でもあった。明治以降、御茶ノ水界隈は、この聖堂を核にしてたくさんの官学校が開校されて、近代日本の学校教育発祥の地となっていく。そこに、日本のカルチエラタン御茶ノ水の原風景がある。そして、その推進力となったのが、神田川の水面と一体になって美しい円弧を描く聖なる橋、聖橋である。
染谷正弘(そめや・まさひろ)