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天才の育て方

バレエダンサー熊川哲也の親父・健一さん:1 一番のファンは妻

2007年05月02日

 「たぶん人はね、死ぬときに、親として最後の子育てをするんですよ」

 熊川健一(61)は視線を一瞬外した。柔和な表情がすっと固まった。

 「妻は……、見事でした」

 と言って一息つくと、再び目尻に深い笑いじわを刻み、顔を上げた。

 健一の妻、哲也の母であるさち子が急に体調を崩したのは03年1月のこと。肝臓がんだった。末期で、余命3カ月と宣告された。

 健一は哲也と哲也の二つ上の兄を呼んで話し合った。告知すべきか、否か。

 兄はすべきだ、と言った。残りの人生を心おきなく過ごしてもらうには、死期を知っておいた方が良い、と。

 哲也は、自分だったら耐えられない、と言った。健一も同意見。告知を受けたとたんガックリときてしまった知人がいたからだ。結局、告知しなかった。

   *

 病状は悪化していった。ベッドで寝たきりの状態が多くなった。

 哲也は渡英を控えていた。かつて所属していたロイヤルバレエ団での公演が組まれていたのだ。どうしても外せない公演。しかし、哲也はそばから離れたくない、と言った。

 「それを聞いた妻が、哲也を枕元に呼んで言ったんです。『ちゃんと踊っていらっしゃい』と」

 本当はさち子も見に行くはずだった舞台。哲也は見事に大役をこなし、カーテンコールでは、誰よりも大きな称賛を浴びた。その会場の興奮を、さち子の友人が携帯電話で中継した。日本は夜明け前の4時半。静かな病室に伝わった、鳴りやまない声援と拍手を聞きながら、さち子は涙を流した。

   *

 哲也の帰国を待つようにして、さち子は逝った。03年4月22日。56歳だった。

 自分の死期を分かっていても、哲也を英国へ行かせただろうか?

 「ええ、絶対に。期待するファンを裏切るな、と教えたんですよ。妻自身が哲也の一番のファンでしたから」

 健一は即答した。そう言い切る自信があった。(敬称略)

        ◇

 各界の第一人者はどう育ったのか。親の目線から描きます。

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