現在位置:asahi.com>教育>小中学校>天才の育て方> 記事 バレエダンサー熊川哲也の親父・健一さん:4 親の役目に引退はない2007年05月02日 中学3年の哲也は、札幌に巡回してきた世界的バレエ指導者の講習会に参加。才能を認められ、留学を勧められた。 「本人は行きたがりましたが、15歳だし、英語もできない。本当に不安でした。家族で何度も話し合い、バレエがものにならなくても異文化の経験は人生のプラスになる、と決断しました。1年間だけと思っていたこともあります」
ビデオ審査で英国ロイヤルバレエスクールへの入学が認められ、半年後の1987年8月、成田空港から旅立った。哲也の姿が見えなくなったあと、独り号泣した妻のさち子。8時〜17時はスーパーで、18時〜23時はすし屋で働き、哲也の留学を陰ながら支えた。 哲也は1年では戻らなかった。89年にローザンヌ国際バレエコンクールで金賞を受賞。プロ契約しロイヤル初の東洋人団員に。93年5月にはダンサーの頂点・プリンシパルに上り詰めた。日本に戻ったのは99年にロイヤルを退団し、自らのバレエ団を組織したときだった。 「哲也はバレエで世界一流の存在となって帰ってきました。でも妻にとっては、ここからが本当の子育てでした」 社会に認められた存在だからこそ、大人の常識をわきまえて欲しい。哲也が常識を欠いた行動やおごった態度を少しでもみせれば、さち子は容赦なく指摘した。テレビの生放送を見て、控室に乗り込んで厳しく意見したこともあった。
さち子の死後は、その役目を健一が引き継いだ。 健一は長年、地下鉄車両の整備・点検を担当、昨年定年を迎え引退した。再就職の話は断った。毎日50万人を超す乗客の安全に責任を持つ重圧から解放されたかったこともあるが、後進を育てるためには、道を譲るべきだと思ったのだ。 組織の長であり、人を育てる立場でもある哲也に、健一は自分の経験から助言をする。論争になることもある。 「哲也を慕う人が多いバレエ団に、哲也に直言できる人は多くないでしょう。だからこそ厳しく意見するのです。これは親である僕の役目。親は死ぬまで引退できませんから」 (敬称略) 天才の育て方 バックナンバー |
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